まるで役に立たない日記

映画やら本やら日常やら内省やら

朝起きて感じる絶望は生理現象

 

この動画によると、朝は1日のなかで一番セロトニン(精神の安定や安心感をもたらす脳内物質)の分泌量が少ないので、起きた直後に調子が悪いのは普通とのこと。動画に出ている精神科医の人ですら「朝起きたときはこの世の果て」「冬場は死にたいと思うほど」という。

わたしも毎朝目が覚めるとだいたいしんどく、過去のネガティブな記憶や他人への疑心暗鬼や自己否定の気持ちで頭がいっぱいになっているが、この動画を観た3日ほど前から「まあセロトニンの分泌量が少ないだけで、別にわたしや周りの人間がどうこうという話でもないのか…」と思えるようになった。その後心を無にして身体を起こすと、1日の活動開始に成功する。(心身ともに調子が悪くない時期なだけなのかもしれないけど。)

逆に、社会人になってから朝絶望を感じない人っているんだろうか…? もしいたら教えてほしい。私は諸々調べたり医者など専門家の意見を総合したところによると生来よりセロトニンが生成されにくい体質らしいため、「特に何も感じず起きれるが?」という人は普通にいる気もしてきた。

二度寝もよくしてしまう。一般的に二度寝は健康に悪いとされているような気がするが、それでも毎朝二度寝の誘惑に耐えきれず、それどころか罪悪感を打ち消すために「二度寝 健康にいい」とかで検索し、「二度寝は絶対にしたほうがいい」と宣うSEO最上位のダイヤモンド・オンラインの逆張り記事を読み、自分の浅ましさに痛み入りながら再びの「寝」に戻っていった朝は数え切れない。

 

昨日、Netflixで配信中の若林正恭星野源トーク番組「LIGHTHOUSE」を一気観したんだけど、内容が濃すぎていろいろ受け取りすぎてまだ頭が追いついていない。

ただ若林が「みんなでバーベキュー行って『俺肉切りに行くね〜!』って言って一人になった瞬間が一番安心する」って言ってたのは非常に共感できたことだけは言える。

あと星野源言語化と世の中のあらゆる事象に対する視点の鋭さとあらゆる方面に配慮しながら自分の考えを表現できるバランス感覚が、偉人だ。ラジオ聴いてみようかな。

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同僚A

 

近所の同僚、Aの自宅に遊びにいった。

Aとは以前、最寄りの小さなスーパーで遭遇したことがある。私が入り口近くのパン売り場に立っていたところ、足早に店内に入ってきた薄化粧の彼女は迷いなく納豆1点を手に取り、迅速に会計を済ませ、敬礼とともに私にひと声かけ、私より先に颯爽と帰っていった。時間にして30秒程度の出来事だった。

私は「なんてかっこいい女なんだ…」と思った。私が消費期限内で食べ切れるような食パンをもたもたと吟味しているうちに、彼女はもう目当てのものを手に入れ、帰路についている。あっけに取られながらも感銘を受けたのを覚えている。自然で迷いのない人間は、いつだって見ていて気持ちがいい。

 

そんな彼女とひょんなことからバチェラー5の最終話を一緒にリアルタイム視聴することになり、はじめて自宅にお邪魔した。

暖色の間接照明に照らされた薄暗い1Kの部屋で、至るところで赤いものが目についた。敷かれたラグや巨大なヨギボーやあらゆる小物に至るまで、赤。周囲からは「赤の広場*1」と呼ばれているらしい。

また調味料やら観葉植物やら画材やらレコードプレーヤーやら、彼女に選ばれ、部屋を構成しているひとつひとつのものが、自然と確立されてきた彼女のライフスタイルの発露のように感じられた。ベランダの室外機の上に灰皿が置いてあったが、そこに乱雑に積み上がったタバコの吸い殻でさえ、少し輝いて見えた。

終盤、私の自宅についての話になった。私は「断捨離が趣味でモノが少なく殺風景なため、業者から"ここはオフィスですか?" と聞かれたことがある」「ダイニングテーブルを捨てたため、夫と食事するときは一蘭のカウンターのごとく横並びのデスクで味集中する」という話をしたところ、彼女からは端的に「虚無ハウス」と命名された。キレがある。ちなみにAは私の6歳?下とかである。胆力もちげ〜。

私の部屋が人間らしくなるよう一緒に家具やら雑貨やらを買いにいこうという話をして、解散した。すごく楽しい夜だったので、また集いたい。

 

*1:赤の広場は、1812年にモスクワに侵攻してきたナポレオン率いるフランス軍が「あまりの寒さのために、最終的に引き返すことになった場所」らしい。

Twitter疲れた、ブログはじめた

 

Twitterに疲れた。関係値がそれぞれである人様のタイムラインに自分の投稿が流れ込む仕様や、関係者各位のエゴサに意図しないかたちで触れてしまうおそれから、やっかいな自意識が発動するようになり、うかつにつぶやけなくなってしまった。

これはTwitterに限らないけど、何かを言葉にしようとすると、他者の目線やら通俗の観念やら論理やらあらゆる要素に制約されて取り繕ろうとする自分に気づく。取り繕った結果その「何か」は再定義されてしまい、自分が最初は何を考え感じていていたかがわからなくなる。再定義されたものも自分の一部ではあるけど、Twitterのはより白々しさがある。

ブログにももちろんそういう側面はあるけど、環境が閉じているのと字数の制限がないぶん気が楽で、より自然である気がする。制約要素はできるだけ少ない方がよいと思う。(あと、「X」ってどうしても言いたくないのもある。Xって何なん。)

というわけで、ここでは読み手をあまり意識せずしばらく好き放題書こうと思う。テーマとかはまだ特に決めてないけど、日々考えていることやらよかった映画やら本やら音楽やらの感想は書くはず。私の海馬は死んでいるので、よい出会いがあったら、記憶が消えてしまう前に書きたい。

少なくとも実用性のあることはあまり書かないので、読んでも何の役にも立たないと思う。ただの自己満足なので誰にも読まれなくてもよいけど、もし誰かに届いてくれたらそれはそれで嬉しい。

 

最近の映画とか

カッコーの巣の上で』(1975) 監督:ミロス・フォアマン

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精神病院に入院してきた主人公が、人間性を無視してまで患者を統制しようとする病院に仲間たちと反抗し自由を勝ち取ろうと試みる話。不朽の名作といろんなところで聞くので観た。

構図としてはニューシネマらしく主人公側 vs 体制側(病院)で、後者を悪者扱いにする意図を感じたけど、私はどちらかというと職務を真っ当している体制側(というか、看護師長)のほうに思いを寄せてしまった。そうせざるを得ない彼女の事情もしくは、そうしたいと思う思想が気になる。

数年前、繁忙期に観た映画『プーと大人になった僕』で、「それは風船より大切なもの?」とのたまいあらゆる手で主人公の重大な仕事を邪魔しようとするプーたち(主観)に終始殺意を抱いていた私なので、いま人間性や感性が死んでいる可能性もある。10日間くらい連休を取ってからもう一度観る必要があるかもしれない。助けてくれ。

 

『バチェラー・ジャパン』シーズン5 最新話(エピソード8)まで

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学級会のシーン、それぞれの女性たちの気持ちが理解できた(ように思えた)ので、辛かった。

月田さんは自分の感情に耳を傾けずに、「自分はどうあるべきか」「何を求められているか」を常に考えてきたタイプなのかなと思った。だから「成長せねば」「変わらねば」という焦燥感や義務感はあれど、自分が本当は何を感じていたり求めていたりするかは実はよくわからなくなっている。自分を変えるために番組に出て、番組原則にしたがって長谷川さんのことを好きだと思い込もうとしていたけれど、本当のところは別に好きではなかったというか、よくわかってないだけなのでは? と思った。知らんけど。

いずれにしろ、SNSで論争を起こせたら番組としては成功だね。明日公開の最終話楽しみだ。

 

終わるぞ

ひさびさに仕事以外で140字以上の文章を書いたけど、癒されている気がする。私は生来の感覚過敏と思考の反芻癖により生きているだけで疲労困憊になりやすい内省虚弱(そんな四字熟語はない)なタイプなので、予定を入れず数日間薄暗い部屋に篭ると少し回復する。文章を書くと、さらによいことに気づいた。今後もやっていこ。